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MDGs blog

【MDG2】**スタッフブログ** ミュージカル「Fela!」に想う。

最近仕事の合間によく聞くアルバムに、フェラ・クティ(Fela Anikulapo Kuti)が1976年に発表した「ZOMBIE」があります。

フェラ・クティといえばアフロビートの創始者として有名なナイジェリア出身のミュージシャン。

「Black President(黒い大統領)」とも言われるフェラ・クティを聞き直すきっかけは、2010年9月に出張でNYを訪れた際に、勧められて観たミュージカル「FELA!」。タイトル通り、フェラ・クティの生涯を紹介したミュージカルは、第64回トニー賞で、最多のノミネーションがされ、最終的に振付賞など他3部門を受賞しました。

とはいえ、実は会場に入るまで、このミュージカルのタイトルをフェラ・クティとはまったく結びつけなかった私。開演前のステージを見てようやく「あれ?」と気づきました。

フェラ・クティには、自身が軍隊の襲撃を受けた経験を元に制作した「ZOMBIE」以外にも多くの作品があります。70年には留学先のロンドンからナイジェリアに帰国し、バンド「フェラ・アンド・アフリカ70」(Fela Ransome-Kuti and the Africa '70)を結成、今なお聖地として有名な「アフリカ・シュライン(Africa Shrine)」と呼ばれるライヴ会場を中心に活動を展開しました。

そんなミュージシャン、フェラ・クティには、もうひとつ、黒人解放運動家としての側面もあります。そしてそれゆえに、ミュージカルが作られたのです(たぶん)。

留学先や遠征先のアメリカでの黒人差別をきっかけに黒人解放や汎アフリカ主義の主張など、既存の社会構造を鋭く批判するフェラの主張は、ミュージカルでもいたるところで表現されました。

「この国には教員がいない、教育を受けた教員がいなければ、子どもたちを教えられない」

「この国は富裕層が富を独占している。石油を独占するのは中国の石油会社だ」

「井戸がない。健康にも影響する」

国連総会の時期にNYにいたこともあり、世界各地の政府関係者や国連機関やNGOスタッフなど様々な方が観客にいたと考えられます。そのせいか、MDGsに関連するワードが出てくると、観客が拍手と歓声が一斉に起こりました(しかも中国の会社・・・!)。

「MDGs」というワードはそれほど広く認知されているわけではありません。日本国内での認知率は3.8%。25人に一人が「MDGs」を聞いたことがある状況です。

それでも多くの人がMDGsの言葉に反応し、歓声をあげたこと。時節柄、援助関係者が多いことを差し引いても、MDGsという言葉が持つメッセージが、ミュージカルというツールを通じて観客へ「届いた」のだと感じます。

 

一番記憶に残った言及は、教育でした。教員がいない、授業にならない、という叫びは、教育の「質」の問題を意味しています。

独立当時や紛争中の国などでは、国の混乱により、制度として確立してもその制度の中身自身が十分ではないことがあります。教育に関して言えば、必要な教員数に対して、高等教育を受けた教員が不足しているために、中等教育すら受けていないような人が教員として教壇に立たざるを得ないことも多くあります。

また国家予算で軍事費やインフラ整備が占める割合が高い場合、教員の給与が十分ではなく、教員が教員という身分だけでは生活が成り立たない場合もあります。教員が副業に精を出す結果、授業が行われないという話もしばしば指摘されています。

教員の質が良くない結果、学校の授業が面白くない。そのため、学校に行かなくなり、ドロップアウト率が高まるとも聞きました。他方では、「教える」ことへの専門意識が薄い結果、教員による暴力も指摘されます。特に女子生徒への性暴力により生徒が妊娠してしまい、結果として退学せざるを得ない場合もあるのです。

世銀のデータによると、2009年のナイジェリアの15歳以上の識字率は61%。2007年の小学校への就学率は93.1%。この就学率は卒業することを意味しないので実際に通学している子どもの割合は決して高くはありません。

以前当日の駐日タンザニア大使と話した時、「必要なのは高等教育への支援です」と言われたことがあります。読み書きができるだけではなく、さらに高等教育を学ぶことで、職業選択の自由が広がる可能性があります。子どもたちの様々な可能性を見つけ出すために、教育の拡充は不可欠なのです。

ミュージカルの「Fela!」はまさにナイジェリアの混乱期において、政治的メッセージを強めた偉大なミュージシャン、フェラ・クティの挑戦を描いた作品でした。

政府を一貫して批判したフェラ・クティは、繰り返し逮捕され、1977年には1,000人の軍隊により襲撃を受け、ミュージカルでもカギとなる役割を果たしていたフェラの母親も、この時の怪我がもとで亡くなります。しかし彼のメッセージは、世界中へ届けられ、若者たちの支持を集めました。

 

フェラ・クティは1997年、エイズ関連疾患で他界しました。そして今なお、人口の半数以上が貧困ライン以下の生活を送っています(54.7%、2004年)。民族・宗教の対立、治安悪化等克服すべき課題は多く、特に2005年9月以降は、産油地帯であるナイジャー・デルタ地域にて石油プラントの爆破、外国人労働者の誘拐等が相次ぎ、治安情勢は不安定。

フェラが夢見た、すべての人の解放の夢は、いつかなうのでしょうか?

 


 

文責:長島美紀