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MDGs blog

【MDG3】**スタッフブログ** 絶望が希望に変わるとき

女性よ立ち上がれ

事務局長の長島が小学生のとき、女性問題を研究してきた大学教授が、小学校にやってきて講演を行ったことがあります。内容は女性の解放についてという、小学生には難しい内容でしたが、一番印象的だったのは、その女性教授が「女性よ立ち上がれ!」とこぶしを突き上げていたことでした。

小学生だった私たちはただただ唖然とするだけ。

でも、大人になって振り返って、あのこぶしを突き上げ、自分の子どもくらいの年齢の子どもたちに叫ばずにいられなかった、教授の気持ちを想像すると、胸が詰まりそうでした。

あの年齢の女性が、あのとき大学教授になるまでにどんな苦労があったんだろう。女性問題を研究しているだけで、どれほど揶揄されたり、「女のくせに」といわれて悔しい思いをしたんだろう。男女共同参画という言葉が生まれ、定着するために、先人の女性たちが経験した涙と悔しさは、想像するに余りあるものがありました。

 

ノーベル平和賞受賞

そんな中で、今年のノーベル賞は、あらゆる女性たちを勇気づけるものでした。リベリアの女性大統領エレン・サーリーフ氏を始めとする3人の女性の共同受賞について、ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は「闘う全世界の女性への賞」であると語っています。おそらくあらゆる国や地域で、女性たちが、その言葉に頷き、涙したのではないでしょうか。

今回受賞したのは、リベリアのエレン・サーリーフ大統領、同国の平和活動家リーマ・ボウイーさん、イエメンの人権活動家タワックル・カルマンさんの3人の女性たち。女性の受賞は、前回のスタッフブログでも取り上げたケニアの環境保護活動家ワンガリ・マータイさん以来です。紛争解決や民主化といった分野で、女性が大きな力を発揮できることを示した活動を評価した形となりました。

サーリーフ氏はアフリカで初めて、選挙によって民主的に選出された女性大統領です。経済学者でもあり、シティバンクの副社長として勤務したこともあります。国民から親しみを込めてママ・サーリーフと呼ばれる一方で、長年独裁政権への抵抗を続け、大統領に選ばれてからも国を手当て直すために妥協を許さない姿勢から「鉄の女」とも呼ばれています。リベリアの平和と経済促進、社会の発展、女性の地位向上に大きく貢献したことが受賞へ結びつきました。

同国からの共同受賞となったボウイー氏は、サーリーフ氏の大統領就任に大きく貢献したとされる女性です。リベリアで恐れられていた軍閥たちに対する女性の抵抗運動を組織した活動家であり、アフリカ史上最も悲惨な戦争の1つとなったリベリア内戦中、セックス・ストライキを呼び掛け大勢の女性を先導、男性たちを和平交渉へ向かわせたことで話題になりました。ユニークな手法に注目が集まりがちではありましたが、彼女のすごいところは、大勢のキリスト教徒とイスラム教徒の女性たちをとりまとめ、運動を牽引したこと。その結果、国際的な平和維持軍がリベリア入りし、当時の大統領だったテイラー氏が亡命。そうして誕生したのが、サーリーフ大統領でした。

 

かつての絶望は

14年間も続いた内戦から復興しつつある国から今回の受賞を受けて、「かつての絶望は希望に変わりました」と話すサーリーフ氏の言葉はとても印象的です。「絶望」も「希望」も、その国の状態を表す言葉ではありません。その国の人々の心持を表す言葉です。

今回の3名の受賞者全員が女性であることは、私たちが考える以上に大きな意味を持っています。現在、国際協力や平和構築の分野では、ジェンダーの配慮の重要性は常に指摘されています。社会的に弱い立場に置かれやすい女性は、紛争の現場で攻撃の対象にされたり、支援物資の配給でも後回しにされがちです。また、地域住民の話し合いの場に参加し、積極的に発言することも、できないことがあります。

アフリカで、女性が意見を言うことが難しいとしばしば耳にしました。サーリーフたちが活動を始めた頃はなおさらです。にもかかわらず戦い続けた。その強さは、あらゆる女性たちを勇気づけるものでした。

 

女性は太陽であった 

いま一度、先人の女性たちの力を、勇気を私たちは思いをはせる必要があります。「原始、女性は太陽であった。今、女性は月である」と平塚らいてうが宣言したのは明治の末ですが、そこから日本の女性は進化したでしょうか?胸を張って、「太陽である」と言えるでしょうか?

その問いかけに、どれだけの人が答えられるのか、それを考えた時、今回のノーベル平和賞が持つ意味の大きさを感じずにはいられません。