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【MDGs2】**スタッフブログ**マララ・ユフザイさんノーベル平和賞受賞

      

 

 2014年のノーベル平和賞は、パキスタンの女子学生マララ・ユフザイさん(17)と、インドの児童労働問題の活動家カイラシュ・サティヤルティさん(60)に送られました。今回のマララさんの受賞は、パキスタン人初の受賞者となるとともに、史上最年少での受賞となりました。

 

マララさんは、これまで女性が教育を受ける権利を訴え、パキスタンの女性が抑圧されている現状を世界に発信してきました。2012年10月にはパキスタン北部で通学途中にタリバン武装勢力に銃撃され、頭を撃たれ重傷を負ってもなお、女性や子どもの教育のために声を上げ、平和のために闘い続けてきました。

 

 

マララ・ユフザイさんとは?

 

マララ・ユフザイさんは、イスラム保守勢力の強い、北部山岳地帯のスワート地区(マラカンド県)に生まれました。この地域では、2007年に反政府勢力「パキスタン・タリバン運動(TPP)」が政府から統治権を奪い、2009年以降は同地域を実効支配していました。TPPは女性の教育・就労権を認めず、実効支配をしていた期間に女子学校200校以上を爆破していました。2005年10月にパキスタン北部で発生した大地震の際にはいち早く救助活動を行い、その後同地区で勢力を持つにいたった保守的なイスラム組織「予言者ムハンマドのイスラム法施行運動(TNS)」のメンバーで、現在はパキスタン・タリバン運動の指導者でもあるマウラーナー・ファズルッラーはラジオを通じて西洋文化や女子教育の否定を主張。2008年末にはファルズッラーは「2009年1月15日から女子が学校に通うことを禁じる」命令を発信します。

当時11歳だったマララさんは、この命令に反発し、2009年1月に英BCC放送のウルドゥー語のサイトにグル・マカイというペンネームでタリバンの強権支配と女性の人権の抑圧を告発する「パキスタン女子学生の日記」を投稿しました。記事のタイトルは「こわいです」。強権支配に脅えつつ、政府批判の意見を表明することで命を狙われるかもしれない、そんな恐怖の中で彼女は世界に向けて発言していたのです。

 

 

タリバン勢力によるマララさん襲撃

 

マララさんは2012年10月、通学途中にタリバン武装勢力に銃撃され重傷を負いました。女子教育の禁止だけでなく、女性が男性の家族に付き添われないで外出することを認めないなど、女性の権利を侵害してきたタリバンにとって、性別にかかわらず全ての子どもたちが等しく教育を受ける権利を訴えてきたマララさんは、襲撃の対象となりました。

事件直後、マララさんはイギリスへ搬送され、小児治療専門病院で手術を受けます。重傷を負いましたが、2013年2月に退院して、4月からはイギリスの女子校に通うまでに回復しました。タリバンは現在もなお、マララさんへの襲撃を続けると警告しています。

しかしマララさんは、2013年10月12日のニューヨーク国連本部で行った演説の中で、銃撃事件に触れ、「私の中で弱さ、恐怖、絶望が死にました。強さ、力、そして勇気が生まれたのです」と述べ、恐怖や敵に屈することなく、今もなお子どもと女性の教育のために声を上げ、訴え続ける強い決意を表明し、世界中の女性たちに勇気と感動を与えました。

 

 

 

マララさんは、ノーベル平和賞受賞のスピーチの中で「肌の色や話す言葉、信じる宗教は関係ありません。お互いを人間として尊重し合うべきです。そして、私たちは自分の権利、子どもの権利、女性の権利、全ての権利のために闘う必要があります」と語りました。

 

 

ミレニアム開発目標MDGsのGOAL2には普遍的な初等教育の達成として、2015年までにすべての子どもたちが男女の区別なく、初等教育の全課程を終了できるようにすることを掲げています。

しかし、2011年の時点では5,700万人の子どもたちが、学校に通うことができない状況にあります。

 

マララさんの告発は、世界に大きな影響を与えました。日本に暮らす私たちにとってこの現実を受け止めることは難しいかもしれません。しかし、マララさんの言うように、性別や国籍、宗教、言語に関係なく、世界中の全ての人が互いに尊重し合い、人間の権利を主張する時なのでないでしょうか。同じ人間として、これからは彼女1人ではなく、世界が一丸となって、立ち上がる時なのかもしれません。