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**事務局長ブログ**悲しみを語り継ぐこと

松谷みよ子さんの訃報に接して

3月9日、童話作家の松谷みよ子さんが2月28日に亡くなられたとの訃報が報道されました。

松谷みよ子さんといえば、国際アンデルセン賞を受賞した「龍の子太郎」をはじめ、「いないいないばあ」などの赤ちゃん本シリーズ、ご自身の子育ての体験を描かれた「モモちゃん」シリーズなどが有名です。小さい時、手に取って読んだ、という方も多いのではないでしょうか。

松谷みよ子さんの訃報を耳にした時、頭をよぎったのは「モモちゃん」シリーズで「パパ」の死を描いた最終巻『アカネちゃんのなみだの海』であったり、広島の原爆を描いた『ふたりのイーダ』でした。

柔らかな文体の中で、松谷さんはこれまで児童童話で描かれてこなかった両親の離婚や親の死、そして戦争、原爆という社会的テーマを描かれてきました。

 

アカネちゃんが「パパ」がいないから、学校でいじめられたこと。
モモちゃんとアカネちゃんの「パパ」が亡くなった時、「お姉ちゃん」だからずっと我慢してきたモモちゃんが3日間泣き続けてなみだの海ができたこと。

原爆によって離散した家族を待ち続ける、話し、動きまわる「椅子」。
「椅子」が待っていた子どもが大人になって戻ってきたとき、原爆症が再発していたこと。
「それでも元気になりますよ」と、広島の原爆を知らなかった少年に語ったこと。

「ふたりのイーダ」はその後「死」や「アウシュビッツ」などを取り扱う3部作へ収れんすることになります。

 

悲しみを表現する

大人になってから、子どもの時に夢中になって読んでいた童話や小説が懐かしくなって、古本屋さんで大人買いをして読みふけることが、たまにあります。松谷みよ子さんの一連の作品が正にそうで、「モモちゃん」シリーズ全巻や「ふたりのイーダ」の3部作、松谷さんのエッセイや民話を読了したのは、つい最近のことでした。

大人になって読み返してみると、驚くほど社会的な問題を取り上げていることに気づきます。民話研究室を主宰し、全国の民話や民間伝承を採集する活動で紹介される作品の中でも、かつての日本の農村社会での貧困や差別、生きる苦しみが平坦な文章の中で描かれています。

悲しみを表現し、語ることは非常に難しい。

特にその悲しみを経験していない子どもたちに向けて、想像力を喚起させ、理解させ、感情移入させることは至難の業です。

「モモちゃん」シリーズはモモちゃんと妹アカネちゃんの「パパ」と「ママ」が離婚するまでの経緯を物語として描いただけではなく、シングルマザーであることでアカネちゃんが学校でいじめられること、アカネちゃんにママが「パパとママがなぜ別れたのか」を描こうとする場面があります。

松谷さんは「モモちゃん」シリーズ最終巻の「あとがき」で、「パパの死」を描くためには時間が必要だったと書かれています。大人の読み物ではないから故に、哀しみをただ哀しみとして描くのではなく、死を受け入れ、納得し、そしてフィクションの世界として「死」を戯画化するためには、時間という処方箋が必要なのでしょう。

3月11日、日本だけではなく、世界各地で、東日本大震災に向けた黙とうが捧げられました。多くの失われた命を悼み、復興への願いを新たに誓われた方、失われた古里へ思いを寄せ、再建の在り方を改めて考えられた方、防災のためにどうすべきか考えた方、様々な思いがあったかと思います。

「ふたりのイーダ」に登場する話す木彫りの椅子も、戦争で失われた沢山の命への鎮魂の祈りが生み出したとも考えられます。「魂が川をたどって戻ってくるんじゃ」と主人公に語るお祖父さんの言葉は、戦争による死が、事象ではなく、繰り返し繰り返し語られ、そして語られることによって、鎮魂と祈りを生み出すのだと、いうことを教えてくれます。

 

「もう4年、まだ4年」

震災から4年目となる「3.11」を迎えた今、松谷みよ子さんの訃報と共に、私は「語り伝えること」の尊さを思います。

「もう4年、でもまだ4年」と語られる方がいました。

悲しみを語り伝えるには時間が必要です。その時間の重みを、温かさを、改めて考えていきたいと願っています。

 

mudef事務局長 長島美紀