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**事務局長ブログ**光と生きる

事務所の近くに、日本で唯一の、浮世絵を常設展示する太田記念美術館がある。

私は父親の影響で中学生の時に浮世絵にはまった。自宅にある浮世絵全集を見てうっとしり、歌麿の美人画の色気にうっとりし、広重の東海道53次に魅入り、自分でも真似をして描いてみたりした訳だが、職場の近くにあるということで却って足を運ばなかったのがこの美術館だ。

今回興味をひかれたのが、今月いっぱい開催している特別展「広重と清親 ―清親没後100年記念」だ。浮世絵好きと自称した側から恐縮だが、この展示のポスターを見るまで、小林清親(1847~1915)という存在を恥ずかしながら知らなかった。

 「寛政三美人」 歌麿画

ヒロシゲブルーと清親の闇

「東海道五拾三次」や「名所江戸百景」などの名作を発表した歌川広重はもちろん知っている。江戸の代表的な浮世絵師であり、ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家は、その「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる、藍色の美しさが今見ても鮮やかだ。

私は広重の作品では雨の降る場面を描いたものが好きだ。雨そのものは「これは雨かな?」という程度にしか描かれない。それでも小走りの人の姿や、傘、背景の様子は今雨が降っているということを私たちに教えてくれる。

反対に、明治初頭に活躍した浮世絵師、清親は、西洋絵画の技法「光線画」と称する手法で、文明開化によって様変わりする都市の風景をみずみずしく描き出した。同じ雨の風景でもどうしてこんなに景色が異なるのだろう。

もちろん描く風景も異なる。技法も違う。個人的には清親の人物画の描き方は好きではないが、これは趣味の問題もあるのだろう。

としても何がこんなに印象が違うんだろうと思うと、「明るさ」なのだと気づかされる。

色みだけでいえば、広重の方が明るい。むしろ夜の風景も鮮やかだ。清親はむしろ「黒」を多用することで、夜の時間を描き出した。

 歌川広重「東海道五拾三次之内 庄野」

「火灯し頃」の無い私たち

この色味の差は、近代というキーワードを抜きに語れないのだと思う。

日本に本格的な西洋式ガス灯の照明器具がともされたのは明治4年(1871年)、大阪だ。その翌年に横浜市にガス灯が導入された。清親の絵の中にはガス灯と思われる灯りや、軍艦の灯り、そしてランプの灯りも登場している。

夜を照らす灯りは、同時に照らされない場所の暗さを際立たせた。そしてそれは、近代の賜物だと言ってもいいだろう。近代は私たちに夜間でも明るい時間をもたらしたが、反面でこれまでは渾然一体となっていたあいまいな境界線を、はっきりと引いたのだともいえる。

明るいところと暗いところ。

光と暗闇。

私たちの生活の二分化は、近代以前のあいまいさを奪った。その結果私たちの生活は変化を遂げたわけだが、しかしその光と暗闇の二分化は何かを私たちから奪ったのではないか。

夕方、だんだん暗くなる時間。

ガス灯が次々につけられるちょうどその光と暗闇の境界のような時間を昔の人は「火灯し頃」と呼び、そのあいまいな時間に何か不思議な事が起きると言ったそうだ。その不思議な事とは、近代以前の、科学では説明つかなかったあらゆる現象を呼称していたのだろう。そしてそれは、自然現象を「不思議な事」として受容し、共に生きていた、かつての生活の名残だったのだろう。

そんなあいまいな時間を失った私たち。

自然現象と共に生きる時間を失った私たちの進むべき「光」は何か。清親は、その向かう「光」が見えていたのだろうか。

そんなことをつれづれに考えさせる展示であった。

小林清親「両国花火之図」

 

興味がある方、ぜひ美術館に足を運んでくださいね。

特別展 広重と清親 清親没後100年記念

2015年5月28日まで

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