**事務局長ブログ**学ぶということ。過去を知ること。
2015.06.03
このMDGsブログでも学生が紹介しているのだが、道なき道を通学する子どもたちの姿を追った、フランス発のドキュメンタリー映画「世界の果ての通学路」がある。
遅まきながら映画をようやく観ることができた。
片道20キロ、ゾウに脅えながら走るケニアの少年の夢はパイロット。
いつか空を飛びたい。
少年の夢が叶ったとき、きっと彼にとって通学路だった風景の雄大さに目を見張るに違いない。
インドの障がいのある少年の夢はお医者さんになること。
弟たちが手作りの車椅子を押して片道4キロを学校に通う。インド社会でも低い階層にあると思われる家庭は、子どもの進学は決して容易なことではないことを示唆している。それでも弟たちは彼が医者になることを信じ、車椅子の修理の方法を覚えた。
「何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいく。人間ってそういうものでしょ」という彼の言葉には胸に詰まった。
知識を蓄えること、学ぶこと。
最近読んだ本の一冊に、西ベルリン市長を経て第6代連邦大統領を歴任したヴァイツゼッカーの演説集がある。1989年のベルリンの壁が崩壊、その後の冷戦終結を経て東西ドイツの統一後、初の大統領となった人物だ。
ヴァイツゼッカーの演説はその格調の高さ、含蓄の深さに定評がある。
数多くの演説の一つに、1985年、第二次世界大戦終戦の40周年を記念して行われた記念演説が有名だ。日本では「荒れ野の40年」とも呼ばれている。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。」
この一節だけが独り歩きしている感もあるが、ヴァイツゼッカーが述べているのは、単に歴史を学べ、ということではない。
学ぶこと、知識を蓄えること。それができて初めて「今」を理解し、判断できる、ということだ。
学ぶこと、意識を持つこと。それだけが世界を変えることができる。
どんな分野であれ、学ばない限り、今以上のものは決して作り出せない。
命がけで学ぶ
学校は当たり前にあるものなのだと思っていた。「学びたいなら存分に学びなさい。チャンスを活かしなさい」。両親の理解から、好きな勉強を存分にできた。博士号を授与した時、「学んで生きる」時代が終わったのだと、目頭が熱くなった。今考えても、ここまで理解力がある親を持てた私は幸福だった。幸福すぎてその幸福に気付くのに時間がかかった。
世界の果てで学ぶ子どもたち。彼らと私の差は本当にわずか。生まれた場所、環境、それだけだ。
学ぶことは、すべての人が国籍、宗教、性別、出生に関わらず、未来を「選ぶ」力になる。学ぶことで世界を知り、「今」を知り、行動することができる。
ヴァイツゼッカーが繰り返し語っていたのは、現代社会の状況をただ理解することは表層的なものにすぎないということだった。
過去の悲惨な歴史。
繰り返された悲しみ。
現在へとつながる歴史。その延長線上に私や、命がけで学校に通う子どもたちがいる。
映画の中で「私は学べなかった」と子どもに語った祖母がいた。「学ぶことで、自分の未来を切り開きなさい」と語る、その重み。
映画を観終わっていま、私は今、学ぶことができる喜びをかみしめている。
■映画「世界の果ての通学路」(原題: Sur le chemin de l'ecole)
フランス 2012年
監督 パスカル・プリッソン
配給 キノフィルムズ
特設サイト http://www.sekai-tsugakuro.com/
■参考文献:「言葉の力 ヴァイツゼッカー演説集」(岩波現代文庫、2009年)
文責:長島美紀(mudef事務局長)